第三章 会社倒産

父の鉄工所へ戻ってから、私の仕事は一つではなかった。

現場では製缶・溶接・組立を行い、図面の展開やCADも担当する。

営業としてお客様のところへ出向き、見積書を作成し、価格交渉も行う。

現場が回らなければ工程を組み直し、新人の指導もし、品質トラブルがあれば対応する。

気付けば、「自分の仕事」というものは無くなっていた。

会社が動くために必要なことは、何でもやる。

それが当たり前になっていた。

しかし、その裏では長年同じ問題を抱えていた。

社長の態度や発言に耐えられず、社員が七〜八年周期で大量退職するのである。

一期生が辞め、二期生が辞め、三期生も辞めた。

そのたびに会社の戦力は大きく落ち、新人ばかりの職場になる。

教育しながら仕事を回し、品質を守り、納期を守る。

その穴埋めをするのは、いつも私だった。

ようやく育ったと思えば、また一から。

その繰り返しだった。

そして四期生の時代。

今度は新型コロナが直撃した。

仕事量は減り、売上も落ち込んだ。

私は営業として価格交渉にも走った。

少しでも利益を残そうと必死だった。

しかし、問題は価格ではなかった。

人が育たず、生産力そのものが落ちていたのである。

どれだけ仕事を取ってきても、作る力が足りない。

先の見通しは、私にも見えていた。

そんな時、顧問の会計事務所の方から一つの提案があった。

「体力のあるうちに会社を畳んだ方がいい。」

延命を続けて借金だけを増やすより、自分たちで幕を引く。

その提案に乗り、会社を畳むことを決めた。

普通なら悲しい出来事なのかもしれない。

もちろん、会社が無くなる寂しさが全く無かったわけではない。

だが、私の胸に一番強く残った感情は違った。

「やっと自由になれた。」

その一言だった。

長年背負い続けてきた責任。

会社を守らなければならないという重圧。

何でも自分がやらなければ回らない毎日。

そのすべてから、ようやく解放された。

「懲役25年終了ーー!!!」

……と思ったが、会社を畳んだからといって、それですべてが終わったわけではなかった。

会社には借金が残っていた。

私は役員だったため、その責任の一部を負うことになり、すんげー借金がのしかかった。

返済を続ける道も考えた。

だが、これから新しい人生を始めるには、現実的ではなかった。

悩んだ末に、私は自己破産という道を選んだ。

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