父の鉄工所へ戻ってから、私の仕事は一つではなかった。
現場では製缶・溶接・組立を行い、図面の展開やCADも担当する。
営業としてお客様のところへ出向き、見積書を作成し、価格交渉も行う。
現場が回らなければ工程を組み直し、新人の指導もし、品質トラブルがあれば対応する。
気付けば、「自分の仕事」というものは無くなっていた。
会社が動くために必要なことは、何でもやる。
それが当たり前になっていた。
しかし、その裏では長年同じ問題を抱えていた。
社長の態度や発言に耐えられず、社員が七〜八年周期で大量退職するのである。
一期生が辞め、二期生が辞め、三期生も辞めた。
そのたびに会社の戦力は大きく落ち、新人ばかりの職場になる。
教育しながら仕事を回し、品質を守り、納期を守る。
その穴埋めをするのは、いつも私だった。
ようやく育ったと思えば、また一から。
その繰り返しだった。
そして四期生の時代。
今度は新型コロナが直撃した。
仕事量は減り、売上も落ち込んだ。
私は営業として価格交渉にも走った。
少しでも利益を残そうと必死だった。
しかし、問題は価格ではなかった。
人が育たず、生産力そのものが落ちていたのである。
どれだけ仕事を取ってきても、作る力が足りない。
先の見通しは、私にも見えていた。
そんな時、顧問の会計事務所の方から一つの提案があった。
「体力のあるうちに会社を畳んだ方がいい。」
延命を続けて借金だけを増やすより、自分たちで幕を引く。
その提案に乗り、会社を畳むことを決めた。
普通なら悲しい出来事なのかもしれない。
もちろん、会社が無くなる寂しさが全く無かったわけではない。
だが、私の胸に一番強く残った感情は違った。
「やっと自由になれた。」
その一言だった。
長年背負い続けてきた責任。
会社を守らなければならないという重圧。
何でも自分がやらなければ回らない毎日。
そのすべてから、ようやく解放された。
「懲役25年終了ーー!!!」
……と思ったが、会社を畳んだからといって、それですべてが終わったわけではなかった。
会社には借金が残っていた。
私は役員だったため、その責任の一部を負うことになり、すんげー借金がのしかかった。
返済を続ける道も考えた。
だが、これから新しい人生を始めるには、現実的ではなかった。
悩んだ末に、私は自己破産という道を選んだ。


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